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悪質クレーム? 直ぐに屈した週刊ポスト

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週刊ポストに対しての批判を見て感じるのですが日本の言論の場というのは非常におかしな方面へと向かっていますよ。

個人的に謝罪に関して非常に違和感を感じましたね。私の視点から見れば、この批判している方々は単なるタチの悪い悪質クレーマーですからね。

 


ー注意ー

不快に思われた時点で直ぐに見るのをやめて下さいね(今回長め)

 

世も末  作家達の言論統制

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[産経ニュース19.9.2]

小学館が2日発売の週刊誌「週刊ポスト」で「韓国なんて要らない」などと題する特集を組み、同誌に連載を持つ作家らから「差別的だ」と批判が噴出した。

同誌編集部は同日「誤解を広めかねず、配慮に欠けていた」などと謝罪するコメントを発表した。

 

特集は「『嫌韓』ではなく『断韓』だ」とうたい、日韓の国交断絶を想定した上で「GSOMIA破棄なら半島危機へ」などと予測。

韓国の学会のリポートを基に、韓国人の10人に1人は治療が必要なほど「憤怒調節」ができないとする記事を「怒りを抑えられない『韓国人という病理』」の見出しで掲載している。


作家の深沢潮さんは会員制交流サイト(SNS)で「差別扇動」を見過ごせないとしてエッセー連載の休止を表明し、思想家の内田樹さんも「今後、小学館の仕事はしない」と投稿。

作家の柳美里さんが「人種差別と憎悪をあおるヘイトスピーチ」と批判するなど、作家や研究者から一斉に反発の声が上がった。


編集部は謝罪コメントで「多くのご意見、ご批判をいただいた」「おわびするとともに、他のご意見と合わせて、真摯に受け止めてまいります」と説明した。ー終わり

 

残念ですね。

私はこの揶揄している作家や自称研究者達の発言は文字言論(文字原稿上の自由言論)に対するヘイトスピーチかつ挑戦ですね。

自己思想に泥酔する方は基本的にどの分野にも必ず居るので構わないのですが、双方に文字言論の分野に携わる方々が結局自分達の首を絞めることになりますね。

批判した作家達のロジックを引用して、過去作で受け取り側がコレはヘイトな言葉だ、これは他者との価値観にそぐわない差別的な話だと批判したら、その作家達も小学館も双方に謝罪して自主回収若しくは校正文を挟めてくれるんですかね。

 

 

 

きっとしないでしょう。

 

 

 

語るに落ちるというか、自己思想を刺激され感情論で語れば私の様にスッキリするのかもしれませんが、何かにつけて直ぐに「ヘイトだ・差別だ」と陽動しているのは私感する限り張本人であり、差別主義者は紛れもなく彼等彼女達では無いでしょうか。本当に誰と戦ってるんでしょうね。

《研究者って誰なんでしょう》

 

自己思想に順じない文字原稿はヘイトか

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もし、産経ニュースの記事の下にこう続いたらどうなるでしょう。彼等はきっと不快になるでしょうね。

 

しかし、ここで懸念が残る。日本は憲法において表現の自由が約束されているが、ここにきて批判した作家や研究者達の言動が正当化されるようなことがあれば、今後、小学館のみならず他の出版社から出版された全てのものに彼等のような思想基準で文章を起こしていかなければならないという可能性がでてくる。

これは検閲とも呼べるものではないだろうか。

そうなれば、憲法21条で保障されている「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」という憲法にある保障そのものの侵害を許すことになりかねない。これはあってはならない。

そのため、今回、一部の作家や研究者達が週刊ポストに対して発言した言論を弾圧するともとれる行為は、受け取り側の解釈の自由を狭め、また、日本国民や出版企業に対して出版物の表現の自由を抑圧させる正にヘイトクライムとも呼べるヘイト行為を増幅させる危なさを感じさせる。

 


はい。共産系の言い回しで過激に付け加えてみると、不思議な事に記事の意味合いが変わります。文字言論というのはそういうものです。

ヘイトスピーチという言葉は日本国内では便利な言葉で、セクハラと同様に受け取り側のイデオロギー次第でコロコロと変わります。

勿論、何処ぞの企業の様に誤報という名を隠れ蓑に故意的に嘘を広めるのはいけません。しかし、使う文字や文章を抑制させようとする行為は思考への虐待です。結局、日本の文字原稿内での言論に対して全てを正そうとすれば、正否を定め、過去全てを精査し合否を決めなければなりませんから、これは検閲そのものですよね。

こういう所でのヘイト論争は愚かでしか無いですし、週刊ポストに対して批判している方々は正義を振りかざしていますが憎悪を増長させる加担者でもあるんですよ。

実際、読んでみると分かると思いますが、私個人では問題ないと思いますね。

 

クレームに狼狽えた小学館

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この文字の表現の弾圧を一体誰が支持しているのかと問われれば私は「商売人」だと答えますね。

商売人といえば経営、運営側の事かと思われるかもしれませんが、私の言う商売人とはこの件でいえば執筆者も含めその業界に携わり御給金を頂いている全ての人間の事を指します。


もし、今回の小学館の謝罪が、より雑誌に興味を向ける為の布石だとすれば"商売人"としては大したものです。私の周りにも普段雑誌を含め週刊ポストを買わない人ですら購入している程ですから購買欲の反応を向けさせる事は成功しています。

《得策とは思いませんが...》


しかし、私は作家からの批判ということで同日に謝罪した編集部の姿勢や、この件に関する各紙報道の内容を見る限り、小学館側は独自の経営理念(方針)というものはあるでしょうけど運営理念(方針)の手腕は無いのだろうと側から見て率直に感じました。

これは日本企業全般の病である怠惰な惰性原因の1つともいえます。

 

私は小学館に問いたいのですが、御社の生業は何なのでしょうか?

 

荒波を立てずに穏便に済ませようとする矜持は大切だとは思いますが、文字言論の場で商売をするということは誰を相手にしようと覚悟と軸を必要としますよね。

また、文字言論において賛否両論が起こるのは批判を含め当然想定内の事なはずです。

 


それでは何故?

 


先ず消費者は雑誌に対して、内容全部が好きで購入している人も居れば、雑誌に掲載されている一部の著者の作品が好きで購入する方、気になる記事があったから購入する方、雑誌なら何でも良くてたまたま購入した方など多面性がありますよね。これは個々の、その時のイデオロギーに作用しています。


出版会社は大まかに全体で見るとB to Cの関係ですね。雑誌(本)を一般の人が買うわけです。

しかし中身を見ると、そこには執筆を生業としている方(執筆者)と出版社の関係があります。

これはB to Bですね。執筆者(経営者)の作品を出版社が取り入れ金銭(原稿料)を支払う。


ここから私が勝手に考察する話ですけど、小学館はB to Cにおける耐性は持ち合わせていたものの、今回の波紋は後者から起因したことのようなので、流石に出版社側も焦ったのではないでしょうか。

《日本企業において飲食業はB to Cに弱いが物販業はB to Bに弱い。因みに日本以外の先進国での飲食業や物販業は結構「おっ!やるか?」的な感じでB to C、B to Bに強い(ビジネス志向が高い)》


しかしですね。執筆者側から書かないということは御社とは商売しないと言うことですから、実際それで困る企業、部門であれば運営手腕が無いも同然なわけですよ。

《執筆者側は本を他社で出して売れれば食べていけますからね》

 

逆に言うと、これから執筆者を目指す者や目指している者からすれば席が空くわけです。上には上がいるという様に、止めると言った執筆者並みに面白いものを書く方は必ず居ますし、そのうえで週刊ポストで書きたいという方は他に居るでしょう。

問題は出版側に才を持つ方を見つけるスキルが無いか、いままでに甘えていたからだと私は思いますね。

なので是非、執筆者を目指す方は小学館にアピールすると良いんじゃないですかね。書かないと言った方々より売れる新たな境地の良い作品が出来るかもしれませんよ。


しかし、諸事情はあるんでしょうけど本当、記事にもあるように連載の休止や作家達が小学館での仕事はしないという様な姿勢を示したことに対して「はい。それで結構です。一方的に休止するということで我が社(部門)の方針と相容れないということでしょうから、連載休止では無く連載廃止にします」といえるまでの気骨も無く、内的憂慮に留めず公に謝罪するのは、日本のこうした謝ってとっとこ止めたろう的な商いのやり方って、悪い前例創造機のお手本マニュアルのようなものですよ。

これは謝るくらいなら初めから出すなと言われても仕方がないですし、節度以前の問題でしょう。

マンガの世界と比べてはいけないんでしょうけど、小学館もマンガあるのでどうなのか判りませんが、他社の漫画部門はシビアでビジネス要素満載ですから、その側面でも見習うと良いと思いますよ。


勿論。これに対して、いやいや、「はいそうですか」と言って切るのは、いささか執筆者の文字言論を封殺することにもならないかと思われるかたもいらっしゃるでしょうけど、執筆活動という行為は今の時代何処でも出来ます。私も然り、この長ったらしい文章を読んで下さってる優しい方々にも出来ます。

 

何事もそれを"商売"と共に括るからややこしくなるんですよ。

私からすればリスク管理ありの前提として、今後あなたと仕事はしないと言われたら「良いんじゃない?お好きにどうぞ」と心に留めて「残念だ」と言っておけばいいです。

執筆者が偉いわけでも無く小学館も偉いわけでは無いんですし文字言論の場で、どう表現しようが賛否あるのは当たり前で、言論の場は思想のぶつかり合いでしょうに。

意見の相違が合わなければ双方関わらないこと。文字を扱う商売を一本の柱に頼り過ぎないことに尽きると思います。


終わりに

これは毎回言っていきたいのですが、ヘイトだの差別だの憎悪だの何かにつけてこじ付けをして叫んでいる彼ら彼女等は自分の事を純真無垢な存在だと思い過ぎであり、自己愛は良いですが自分の事いささか過大評価の度が過ぎるのではないでしょうか。

戦争反対と他国に比べてかなり安全である日本国に甘え、その中でプラカード持って叫び、子供をデモの前に並べる方達と同類の匂いがします。

 

小学館週刊ポストも、エンターテイメントのノリでやりたかったのか本当に説得したかったのかはわかりませんけど、読みましたが今回、週刊ポスト側は謝る必要性が無かったでしょ。

さもありなん意味を汲むことが出来ない人間が増えている以上、今はストレートに書いた方が伝わり易いでしょうし、日本人に対する言論封殺の波は来てますから私は何様で申し訳無いですけれど謝罪以外は評価してます。

 

だって国益を鑑みてメリットは無いのは事実。彼等の国と関わってロクなことが無いのは彼等の好きな「歴史」が証明しています。