きなこ丸のいろいろ話

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水子に対する間違った認知

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 現在では誰もが知っている言葉に水子というのがあります。

現代では人工流産や自然流産で死産した胎児を水子と呼び、その胎児の霊を供養するという形が認知されていますが、水子供養はごく最近の1970年代頃に全国的に広がり認知を得たもので本来は違うものというのを知らない人が多いです。

水子供養は1700年代終わりにごく一部の地域であった様だが、全くをもって一般的では無かった。

 

皆さんは水子と聞けば昔から「水子霊の祟り」「水子の障り」といった世間的にあまり良い聞こえ方がしないのが周知の通りだと思います。

しかし、本来その概念は日本の神道を含め仏教等の各宗派には無く、あったとしても日本においての水子とは出生後に亡くなった幼児に対する仏教の戒名「水子:みすじ」から由来しており、大人が亡くなった際に賜る戒名、そしてその葬儀で行う供養と同じ感覚であったのです。

 

それが時代が流れ、新興宗教やその世界に溺れる人がこれを祟りと繋げ、現在ではいよいよ本来死ねば即極楽浄土と云われる浄土真宗でさえも水子供養を行うまでに至っている。

 

水子の祟りは無い?

水子の祟りはありません。皆さん錯覚をしていると私は思っています。

祟りと思う原因は子を失った母親が子に対して思う「罪意識」からで、自身が作り上げた罪意識を責任転嫁し子に祟りという大変不名誉な名目で押し付けてるに過ぎません。

よく水子が憑いていると云われ実は私自身以前流産をしまして...と相談を受けたりしますが、それは水子では無く自身の罪意識の念の表れです。

神道でいえば気が枯れている(穢れる)という事で、赤ちゃんが取り憑いているのでは無く、その方自身が穢れを作り出し亡き子に転嫁しているのです。

 

水子はいない?

水子の概念が日本では出生後とあるので、そこからの供養という視点でいえばあるといえます。

だって戒名ですから。

それ以外での意味なら私は無いと位置づけています。

経験上、親が思う罪意識が赤子の形を自身で作り出してるのが2割、8割は気のせいです。

でも、幼児の霊や子供の霊となれば別です。

しかしその霊魂は水子ではありません。

※念が念を発する者のイメージで形を成すのって不思議ですよね。何でかは私は分かりません。理解不能。

 

水子が憑いてると言われたら

自身でいま一度冷静に考えてみてください。今の自分の心を。確かに子をやっとの思いで授かったのに死産の経験した方は辛いですが、先ずは深呼吸です。

家の中で悶々としてしまっていたのなら日を浴びてください。あなたが悩み思い苦しみ続けると、それが縁起になり逆に本来の気持ちとは違う方向へ自身を導いてしまい兼ねません。お経や墓石でと具現化させないと手を合わせられないということはまずあり得ないので、心で「一度来てくれてありがとう」と子に伝え安心させましょう。そして自分自身も褒め安心させてあげましょう。焦らず、時間という概念があるこの世だからこそできる時間に委ね、冷えてしまった心に暖かみを持たせていきましょう。