きなこ丸のいろいろ話

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日本人の読解力の低下に思う

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人間は常に自身の都合の良い方向へと舵をきる生き物で、私を含め読み書きの選択・解釈・判断は個人の範疇を超えることは不可能に近いものがあります。

 

ー 注意 ー

不快に思われた方は直ぐに閉じてくださいね。

 

読解力の低下

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産経新聞
主語と述語の関係といった「係り受け」など、文章の基本的な構造を理解できていない中高生が多くいるとみられることが、国立情報学研究所の新井紀子教授らの研究チームによる調査で分かった。新井教授は「読解力が不十分だと社会生活を送る上でも大きな影響が出る」と懸念している。

調査は平成28年4月~29年7月、中高生を中心とした約2万5千人を対象に実施。中高生の教科書や辞典、新聞記事などに掲載された文章を題材に、基礎的な文法を踏まえていれば答えられるようにした問題を出した。

 例えば中学の教科書から引用した「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」の一文と、「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」の一文とが同じ意味かどうかを尋ねたところ、「同じ」と誤答した中学生は約43%を占め、高校生でも約28%が間違えた。

ほかの教科書から引用した「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカオセアニアに、イスラム教は北アフリカ西アジア中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」を読み、オセアニアに広がっている宗教を「キリスト教」と答えられなかった中学生は約38%、高校生は約28%だった。

 調査では、中高生に1カ月に読んだ本の数やスマートフォンの利用時間、1日の勉強時間など生活状況も尋ねたが、読解力との明らかな相関はみられなかった。一方、経済的に困難な家庭に学用品などを補助する就学援助を受けている子供の割合が多い学校の正答率が、相対的に低いことも分かった。

新井教授は近年、人工知能(AI)の情報処理能力が大きく進歩していることに触れ「将来、仕事を奪われないようにするためにも、子供たちの読解力の底上げにつながる支援が必要だ」と話している。-終

 

私的に将来AIが人の代わりに仕事をし、その恩恵を受けながら有意義な時間を人々が過ごせる社会システムになれば良いと思っているので賛成なんですが、読解力に関しては大事ですよね。

 

私的に上記の調査結果は別として読解力の低下は中高生に限られたものでは無いと思うんですよね。

 

読解力が乏しい方は勿論、病や先天性は別として年齢層に限らず多くいらっしゃいますし...。

 

会話においても相手の話している内容を読む事が出来ないと疎通は図れませんし、今も昔も社会では十中八九理解出来る筆述や口述を一定の方が理解できないなんて話しはザラにありますよね。

 

今のメディアや政治家達を見るのが良い例かもしれません。立派な学歴を持っていても文書を読み解けないが為に無理のある憶測に走る人間達が最近増えすぎです。
開成小学校と書いてあるのに安倍晋三記念小学校と読んでる大人達とか...あ.....それは別次元の話しですね。

 

読解力について思うこと

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記事の内容に「中高生に1カ月に読んだ本の数やスマートフォンの利用時間、1日の勉強時間など生活状況も尋ねたが、読解力との明らかな相関はみられなかった」とあるように、よく読解力が乏しい方に対して「本を読め」と言う人が居ますが私自身も本を読めば読解力に繋がるとは思えません。

 

私的に読書は語彙力はつくと思うのですが、読解力が無ければ体を成さず文の理解には繋がらないと考えています。

 

読解力は、読んで字の如く文章の内容を読み解く能力、語彙力は表現力ともいえる言葉の幅や深みを与える訳ですが、先ず「誰が・誰に・何を・どうした」という基礎や文法を習得し、そこに幅を持たせたとしても字面だけを読み、字面だけの解釈を並べているだけでは語彙力を含め読解力のスキルアップは見込めません。

 

最近、語彙力をつける本が売れていますが、私を含め近年の日本人には語彙を含めもう一つ不足しがちな能力があるように思うんですよね。

 

それは何かと言うと

 

「行間を読む」こと。


読解力をつけるには書いてある文章や使われる言葉の解釈は必須ですが、近頃、行間を読める人が減り、行間を読むことすら知らない人が増えている気がします。


行間を読む

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行間を読むというのは、文章中に直接的に表現されていない文と文の間にある執筆者の真意を読み取ることであったり、執筆者が文章中に敢えて言葉を散らしている意図を汲み取ることを言います。

私自身、この行間を読む力の事を"行間読解力"と勝手に言っていますが、私もこのしがないブログを書く際にタイプミスは酷いものの、時々いただくコメントを拝見した際、それを読める人間と読めない人がハッキリと分かれているのが改めて解ります。

 

行間読解力の乏しさが露呈しているもので分かりやすいのは言葉狩りをする人間が良い例で、よく彼等は「そんな強い言葉で云々」と言っていますよね。

 

例を挙げれば「殺す」という言葉。

 

この言葉は彼等にとっては憎悪表現であり非常に強い言葉として捉えられていますが、殺すという言葉の前に"声を"と入れたらどうなるでしょうか?

 

「声を殺す」

 

これは「声をひそめる」という意味ですが、そこには"殺す"という言葉がありますよね。

きっと彼等は、なら初めから"ひそめる"という言葉を使えと言うでしょう。

しかし、彼等には言葉の強弱がわかるにも拘わらず読解力が乏しいのか、文字の一点集中に走りがちになります。

 

そう、前後確認が出来ず、強弱云々と言う割には一番表現手法を知らないのだろうと思います。

 

以前、実験では無いのですが新海誠監督の映画「言の葉の庭」の終盤で、男性生徒は女性の先生に「嫌いです」と言うのですが、何故あそこで嫌いと言ったのかをある数人に質問した際に、汲み取れる人と汲み取れない人が居た記憶が蘇ります。

 

汲み取れる人はいくつか、こういう心情や背景があるのではと色々と出て来るのですが、汲み取れない人は「振られたから嫌いになった」であったり「あんな言い方しなくても」と答え、内容は極端だったのです。

 

人は生まれて先ず文字からではなく文言や言葉の使い方、ニュアンスを覚え次に読み書きを覚えますよね。

 

言葉には声の強弱やニュアンスを汲み取る理解力が必要です。
それを文章で表すと読解力と行間読解力。
《まぁ、行間含め読解力なんでしょうけどね》

 

つまり、字面や言葉の文言だけでは文章の全体的な解釈であったり指し示す意図は測りにくい。

 

では、どうしたら?

 

感性を磨く

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私的な見解では、感性を磨くのが一番だと思います。
感性は共感であったり感銘であったり、頭の回路を使うのでは無く心の回路を使いますし、その心の幅が広がると心の回路の学力が上がる為、自ずと行間が読めるようになり偏りが無く幅広く意図をいくつか汲めるようになりやすく、且つ、幅を持った解釈が出来るようになると改めて私事ではありますが感じています。


前述を引用すれば一見に言葉狩りをし強弱をみな語る人間はその感性が高い様に見えますが、左派思考がインテリに見えるだけの様に実際は感性は低く、幅がないため一意専心に固執します。

勿論、一意専心は良いのですが自意識が過剰になりやすいので自尊心は各自必ず持つべきですが最低、千社札を貼る程度に留めるべきだと思いますね。
《私が自分のブログのみで語る程度にね 汗》

 

また、日本の歴史に倣えば現在にも残る工芸品等の芸術品、文化は非常に感性が詰まったものが殆どです。

 

ある意味、そういった感性の詰まった場に骨休めで行ってみるのもいいかもしれませんし、雲を眺めるだけ、作物を育ててみる等の自然と自分を感じてみるのも感性を広げるには良いと思います。

 

人は理屈を求め過ぎるところがあります。
学力は頭の回路だけの向上だけでは無い事を知ることも色々な自身の総合学力を高め、気付けば出来る自分になっていたりするもので、読解力も然り行間が読めないとしても、気付けば文章や発した言葉を読み解く事が気楽に楽しく出来るようになると思いますので、産経さんの記事にもあるように相関がみられないのであれば感性を養ってみるのもありかもしれませんよ。

 

最後に

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 この画像を見たことある人も多いと思いますが、皆さんはどう思いますか?

私がこの学校の担任だったら○を書く上に素晴らしい!と添えますね。